今日頂いた手紙に
山の向うがみえなくても、足下の土を踏んでゆく他はありますまい
との素敵な文が添えられていた。
その通りだと思う。
ぼくがここにいること。そのことから始めなくてはならないと思う。ここがここである限り、ここからどこへ移動しようがそれはここで、一方でここがここでない日常にとっては、憧れのあちらに行ってもあちらは永遠にあちらでしかないのだとも思う。ぼくは東京と北京の行き来においてしばしばこんなふうな書き方をするけれども、どこでもそうなのではないか。そして、足下の土は、たとえ向うが見えなくとも、見えない向うにつながっているはずで、つながっていると思いながら歩くような歩き方にとってそれは真なり、とも思うのである。