1928年東京・門前仲町生まれ。敗戦後、米軍キャンプのボーイなどを経て昭和二十年代後半に超有名ボーカルグループ・Dに参加。一世を風靡し、紅白歌合戦をはじめテレビ、ラジオに多数出演して売れっ子になるが、昭和四十年代に入り突然Dを脱退、歌謡界から完全に足を洗って喫茶店業を開始、今に至る(はずである)。
歌手を辞めたきっかけについて、彼は多くを語らないが、「自分には欲がなく、ああいう生活は合わなかった」と話す。喫茶店に関しても無欲ぶりは変わらず、門前仲町の「寄港地」は伝説の店として数多くの雑誌に紹介され今のカフェブームのはしりとも言えたが、人気が絶頂に達した九十年代初頭に突如閉鎖し、旅に出てしまった。旅は十年近くにも及び、二〇〇〇年冬に今度は東向島の狭い二階建て家屋を借りて再び「寄港地」を開いたが、またしても今年四月上旬に突如店を閉鎖して、どこかへ行ってしまった。
生涯独身。ふだんはいっさいの遊びとは無縁な人で、自家製のコーヒーを飲みながら二十世紀初頭の西洋音楽を聞くことをこよなく愛する。毎日決まったように近くのコンビニで幕の内弁当を買って夕食とし、食事の誘いにはまず応じない。たまに古い友人が訪ねて来るのが唯一の楽しみだと言えた。
もとより喫茶店を始めたのは自分がコーヒーを飲みたかったからで、日がな一人も客が来ないことも珍しくなく、静まり返った夜の東向島で寄港地の赤い暖簾をくぐって彼と会うのはここ二年ほどの楽しみの一つだった。西洋音楽以外はまるで音がなく、店名のごとくたまに客が来ては去っていく、そんな中で原稿を書き、書き疲れたら彼とよもやま話をする。読書好きで話題には事欠かない人だった。
なぜ再びいなくなったのか、ある常連客は「旅に出たのだろう」と言う。ふだんはコンビニへの往復しかしない彼が今年の立春頃から「最近隅田川の辺まで歩くようになった。またぞろ外を歩くのが楽しみになってきた」などと語っていたのが思い出される。自分も多少そうだが、放浪癖のある人というのはふだんは人並みはずれてワンパターンな行動を取るものではないかと思ったりもする。店名の寄港地というのは客が来ては去っていく譬えかと思っていたが、実は船は彼自身で、喫茶店の主人として適当にほとぼりが冷めた頃にまた船出していく、そんな、風みたいな人だったのだろう。その彼が歌謡界に合わなかったというのもよくわかるような気がする。今後戦後文化などについて考えたりすることもあるのだろうが、彼のような漂泊の人がどの分野にも実に多いことは忘れてはなるまい。
毎日のように顔を合わせていたのも関わらず、連絡もなしに去ってしまった。突然いなくなった彼の消息を知りたいする気がある一方で、放っておいた方がいいのだろうな、などと思ったりもする。