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『Dearキクチさん、ブルーテント村とチョコレート』の夜
友人の現代アーティスト・藤本なほ子さんの紹介で、代々木公園でテント生活を始めて3年になる現代アーティストのいちむらみさこさんが本を出したのでその集会に出向いた(代々木公園)。
彼女のブログ
本の紹介
公園で生活を始めて3年になると書いたが、書くのは簡単にできても実際にそのようなことを続けることがはたして容易なのかどうか見当も付かないほど、ぼくと彼女たちとは別の地点にいる。ぼくは洒落たマンションに住みたいとも思うし、別府の温泉保養所を買い取って旅館を経営したいとも考えている(カネがあろうがなかろうが考えることは自由である)。けれども、そんなぼくが自給自足同然の暮らしをする彼女たちと触れ合って居心地のよさを感じるのははたしてなぜか。
現代アートの空間作品に対しても常々思うことだが、ぼくはこうしたことに触れるたびに「どういう主義主張(目的)があってこのようなことをするのか」との思いが浮かぶし、そのことはあながち間違いでもなかろう。けれども、ある思想、特に今の大きな勢力を占める価値観とは異質な志向性を持つ場合、その志向性を主義主張とするために空間を見つめる過程が必須なのではないかともこの日、考えるようになった。彼女たちが言った中で印象に残ったのは「ここには人と人とのつながりがある」ということ。ぼくはぼくで中国を行き来しながらそういうことを考えてきたが、なるほどこういうやり方もあるのかと納得させられたりもするし、となると、空間そのものが自己目的化することもけっして無思想だとは言えまい。
それにしてもテント村に設けられたカフェ・エノアールの夜は快適だった。鬱蒼とした森の中、ろうそくの炎だけがゆらゆらする中で彼女や同居人のアーティスト・小川てつオさんたちといろいろな話をしたが、余計なものを剥ぎ取って向かい合わせになることは人と人とのつながりを強めるものなのだろう。だからと言ってぼくは公園で過ごすことが好きなわけではない。今語っているのはけっしてそういうことではない。
惜しむらくは彼女たちの活動を映像や写真で追った記録がないこと。以前ワイドショーが彼女たちを否定的に取り上げたことがあったらしく、映像や写真を拒むところがあるのかもしれないし、あるいはその方がよいのかもしれないが、ぼくとしては彼女たちの1000日を見てみたい思いはある。