卒業後、長いあいだ、木村先生に連絡をしなかった。「スケジュールがわかったらぼくから連絡する」ことになっていたが、連絡もせず賀状も出さなかった。ぼくはテレビ番組のADなどを経て、やがて華人社会に入り浸って4~5年の無収入生活を送るが、いったいどのように自分を報告したらいいかが自分にもわからなかった。
学生というのはわりと何でも言うことができ、ただし話すことが行動と必ずしも直結しない。大学を出て、それまで考えたこと、思ったことと現実との違いを扱いかね、歳を取るごとに矮小になる自分に悩んだ。早い話が先生に合わす顔がなかった。
あるいはその時その時で先生に相談をする手もあったかもしれない。ぼくもしばしば若い人から人生や進路の相談を受けることがある。そのようなことはとても嬉しいし、木村先生も「ぼくは今、ニートとも言える無収入居候生活を送ってますが、はたしてこれでいいのかどうか悩んでます」と打ち明けたら親身になって相談に乗ってくれたように思う。表向きの顔とは違い、実際はそういう気さくな方だった。
ぼくは小さい頃から先生や先輩との折り合いが悪く、進路選択や悩みを打ち明けることのできる年上の人がほとんどいない。そのぶん同じ世代の人や若い人との付き合いは濃いのかもしれないが、要は相談を受けることはあっても相談をするという体験がない。ぼくにとって木村先生はそういうことが可能な数少ない先生であったが、結局相談をしたことはなかった。そして、今は、そのような人がいなくなったことの空白感に直面している。(続く)