今日は朝から晩まで、晩から朝まで上野で作業をしていて、テレビからは地震の放送が流れている。いま作業を休めて、書き込みしようと思うが、前に書き込んだ地震以外にとりたてて何もなく、さっき作業しながらふと思い出したことでも書いてみようと思う。
中国でむかし文化大革命というものがあって、その経緯だとか意義だとかは別にして、人民服を着た大勢の若者が毛沢東(もうたくとう、と呼びます)語録を掲げて街を闊歩したり、あるいはジェット式と呼ばれる、立ったまま手を後ろ上方に縛り上げられて頭を下げさせられる、屈辱的というか息苦しいポーズをしたまま、大勢の批判を受けるといったことが全国的に行なわれたことがあった。
それがどういうものであったかは今はどうでもよく、ともかくぼくなどはテレビ番組や書籍で文化大革命の註を付けるときに文化大革命(1966~1976年)という書き方をする。それは太平洋戦争(1941~1945年)というものにほぼ近く、文化大革命は1966年に始まり1976年に終わるものだという知識があって、それはそれで正しい知識かと思う。一般には1976年頃に文化大革命は終わって、時代は華国鋒が政権を取ると思いきや鄧小平が実権を握り、やがて1978か79年あたりから改革開放という一種の資本主義化が開始したとされる。
ところがどうもそうではない面もあるらしく、ぼくがふだん親しくしている王慶松という農村育ちの現代画家がいて、以前彼の年表を作ろうと年々ごとに行動を追ってみたのだが、それによると、彼は1979年に紅小兵(紅衛兵の予備軍)として紅衛兵入りを勧められているし、毛沢東語録の暗唱は1981年ごろまで続けられたりしていて、彼の頭の中では引っ越した1981年にようやく文化大革命が終息したことになっている。ちなみに彼の故郷は湖北省沙市からトラックで数時間かけて行くという山の中の田舎で、湖北省で最も遅く電気が通った村の一つとして新聞記事に出たことがある。
このへんの事実関係の解明をしてみたいなどという気はさらさらなく、それよりもけっして無学とはいえない彼が文化大革命を1981年までと認識していたことに関心をおぼえる。
最初は「とんでもない田舎者だなあ」ぐらいにしか思わなかったのだが、この時のやりとりをしばしば思い出すことがあって、考えてもみると、ぼくの日本における時代認識も似たようなものではないかと思えるのである。
たとえば1971年だか72年だかに日本が変わったとする議論があって、読んでみるとなるほどその通りなのだが、自分の体験に置きかえて考えてみるとなんだかしっくり来ない点があって、それは自分の故郷での暮らしを振り返った場合である。前にも述べたし、今後もおいおい触れると思うが(カテゴリ「80年代」の中の「アジア的なものと日本の地方」や「旧型客車」参照)、自分にとって時代が変わったのは間違いなく80年代の初頭から中盤あたりまでだった。「東京で変わったものが田舎に届くまでは何年かかかるのは当たり前だ」と言ってしまえばそれまでだが、たとえばストリートファッションが半年遅れで大分県安心院で流行するとか、そんなことではなくて、七十何年かに日本が変わったとする主張を押し付けられるような東京的なものの暴力が入り込んできたのがその頃ではないかと思われるので、たんに流行の伝播のようには扱う気になれないのである。
そんなことを考えるたびに王慶松とのあの時の会話を思い出すわけだが、彼が彼の座標軸で母国の歴史を語ることには興味をおぼえる。そんなやりとりに勇気づけられながら、自分にとっての日本を記憶していきたいと思う。