先日友人から赫崇「萬+力」(ハー・ゾン・マイ)(
註)が亡くなったと聞かされた。今年5月か6月のことで、酒の飲みすぎで腎臓をやられたらしい。まだ四十歳代半ばで、最後に電話でやりとりした二年前の夏には元気だったから、意外と言えば意外だが、起こるべくして起きた死にも思えた。
赫という人は著名人ではない。北京の役所で外国テレビ取材の受け入れの仕事をしていて、一般に中国のこうした部署は取材の邪魔ばかりすることで悪評が高いが、彼は香港のコーディネーターと間違えるほど機敏で協力的で時には徹夜仕事も厭わず、おまけにカネに汚くなかった。1960年吉林生まれ。幼少期から北京・西単の胡同で暮らし、仕事を転々としてかなり歳を取ってからテレビ関係の大学に入り、遅れた青年としてテレビの仕事を始めた。酒好きで、親しくなればとことん付き合うが、親しくなければ冷淡で仕事にも手を抜くところもあった。一本気で、現場感覚に優れ、あくまで個人の関心としてこの仕事をやっていたところがあった。中国のこうした業界の人にない気質を持っていたが、日本人の感覚からすると、いったん親しくなればむしろ彼のような人間の方が入り込みやすい面もあった。
しばしば中国の人間が義理堅く、友情に篤いといったことが言われるが、彼はその典型と言ってよく、このような人間が必ずしも活躍することができないのが中国だと言ってよい。北京が大きく変わってきたのは確かだが、今でも大きな企業や役場では仕事の出来不出来よりも「当官(タングワン、共産党幹部であること)」しているかどうかの方が出世の対象になり、彼も年下の女性幹部の下で働いていたが、二人の関係は険悪で、二人の間で意思疎通をするのにわざわざ日本にいる知り合いを通さねばならないほどだった。
ぼくは一般に役所と仕事をすることが嫌いで、彼女も含めて当官した人にもまったく関心がないのだが、二人の関係で言えば、赫の方にも落ち度はあったと思う。彼には中国の役所で生きるだけのしたたかさがまるでなく、仕事もできて年齢も上の自分がなぜ彼女に屈服しなくてはならないのかと不満を抱いていたのであろうが、そう思うことは構わないにせよ、あまりにもそうした態度を表面に出していては上司の彼女の方も扱いに困ったはずだ。やがて彼は職場を追われたが、彼女がどうとかこうとかではなくて、中国の社会システムにあまりにも合わない人間だった。仕事ができる意味では現実の中国のテレビ界よりも先を行っていて、人間関係においてはあまりにも旧式の面があった。旧式と言うよりは、中国の役所特有の建て前と本音を使い分けられない意味でまさしく革命時代の名残りを多分に抱えた人物で、こうした人がないがしろにされていくことが中国では日常頻繁に起きている。日本でもそうかもしれないが。
彼を「赫哥(赫の兄貴)」と呼んだ時のうれしそうな表情が今も思い浮かぶ。
彼の性格についてあれこれと言ったが、一言で言えばぼくは彼のような一本気な気骨ある人物が好きで、いつかまた酒を飲みたいと思っていた。その後、彼は独立を画策したが、うまく行ったのかどうかは知らない。ただ、死ぬほど酒を浴びたということは彼の思いに反して仕事は来なかったのかもしれない。無念だったろう。以前よく彼と酒を飲んだが、酒好きであることは確かだとしても、ぼくの半分も飲めず、健康にも気を遣っていた。その後、彼の自宅近くの天壇の飲み屋で、いったいどんな表情で酒を浴びていたのかを連想すると、一言も声をかけてやれなかったことが悔やまれてくる。
註・・・「萬+力」で一文字。中国語で「マイ」、日本語で「バイ」と呼ぶが、ここの文書では文字化できなかった。なお当初ぼくは彼の名を赫崇励と表記して実際そのように思い続けていたのだが、友人から指摘されて初めて思い違いであることを知った。読みが違うので全然違うと言わざるを得ない。そう言えば赫自体にもずっと間違った呼び名をし続けてきたわけだが、何も言われたことがなかった。彼はそういうタイプの人間だった。