今年の春、ソウルに寄ったついでにノレチャンヌンサラムドゥリ(歌声を探す人々)の結成20周年コンサートに行った。ぼくは韓国の音楽と言えば学生運動の世相にマッチしていた渋いフォークのこのグループしか知らず、学生時代によく聴いたもので、たまたまソウル滞在中に記念コンサートがあるということでチケットを手に入れたのだった。
20年前と言えば1987年。日本ではバブルと円高を背景に大勢の若者が海外脱出をはかっており、ぼくもその1人だった。韓国と言えばオリンピック前でまだ戦後の貧困が露見していた頃だし、しょっちゅう学生運動のデモが見られ、漢江の川べりに大勢がたむろってフォークソングを口ずさむ、なんてことがよく行なわれてそうな印象があった。ノレチャンヌンサラムドゥリの静かだけど熱のこもったフォークはまさにそんなシチュエーションにふさわしい曲だった。
こうした印象を述べても信じてもらえないほどにイメージとしての韓国像は大きく変わった。とはいえ、実際の韓国はぼくが昔歩いた時のような道や店や、人の振る舞いがあって、韓流ドラマで出てきそうな小奇麗でスマートな雰囲気はあまりなかった。そういうわけで、デモやアングラの類は元気がないようだが、20周年記念コンサートもソウル大そばの学生向けスポットが建ち並ぶ界隈の小ホールでさりげなく行なわれた。
87年当時の映像を背景に当時のヒット曲をうたっていくもので、懐かしかった。懐かしかったというのは、ぼくと同年代の人たちが大半を占める中で、おそらく彼らも懐かしさを求めてやって来たに違いなく、そうしたオーラを受けてのものでもあるが、他方で懐かしかった、としか言いようがないぐらい、今の韓国に彼らのフォークを重ねあわすことは難しそうなのだが、そのギャップが現実のものなのか、それともたんにぼくの韓国イメージの問題なのか、後者だとしたらぼくはこの国をもっと歩かなくてはならないのだろう。
そういえば、87年の映像の中に全斗煥元大統領が登場した時、大勢から「クスッ」といった笑い声が漏れたのは新鮮だった。中国でもぼくの周りの連中はテレビに胡錦涛なんかが出てくると「クスッ」とやるものだが、シラケとも皮肉ともつながるこうした笑いがソウルでも聞かれたことは韓国のニュースに接する際に頭に入れておきたいことだとは思った。そして、今はただ懐かしさを求めにここにやってきた周りの人たちにたまらぬ親近感を抱いたりもしたのである。