今日は比較的長い時間を両国の喫茶店で過ごす。手当たり次第に何冊か読んだ中に松枝茂夫『中国文学のたのしみ』があり、その中に所収された『白樺派と中国』(初出「世界」1957年2月号)を学生時代以来久しぶりに読んだが、周作人が武者小路を敬愛し宮崎の「新しき村」を訪れていくあたりの経過とそれを感慨深く記す松枝の筆致はすばらしい。ここらへんの中国文学者独特と言ってよい知的良心・知識人の交流といったものが戦前あるいは戦後思想などといっしょくたんにされて葬り去れるとしたら、それは大変惜しいことだと思う。
総武線沿線でフリースクール(不登校児たちのための自主学校)を運営する人の話を人づてに聞いたが、フリースクールで傍目には幼稚とも思える「体験学習」が多いのは「体感がない」、すなわち、目では見えてもそれが実感とならない感受性の欠如が問題とされているからなのだそうだ。人を殺してみたい、あるいはイラクに行ってみたいなどということも「体感」の獲得なのだとしたら、その喪失感は死を賭してでも取り戻さなくてはならないほど深刻なものなのだろうか。そして、「体感」とは具体的に何を感じることなのか。
かく言うぼくも中国大陸の、それも何千万分の一にも満たないものを多少なりとも体感した気にさせられるまで十数年を要したわけだが、多少の「体感」が生じるまでその喪失感に気付いたことはなかったし、その一方でぼくの「体感」と時代のキーワードとしての「体感」はおそらく別物だろう。後者の「体感」が現実にあるかどうかは別にして「体感がない」という感覚はぼくらの世代まではあまり馴染みのないものだ。ここらへんにぼくは八十年代の曲がり角のなんらかを連想するのだが、そのことは今後おいおい考えていきたい。
ただ一つ言えるとしたら、周作人が新しき村を訪ねるようなことがぼくにとっての「体感」であって、そこで重視されるべきなのは触覚よりも感慨、あるいは心境というべきものだろうと思う。見て触れれば体感できるということはどうにも信じがたい。