雨の日は雨の日の、晴れの日には晴れの日の気分があると思う。
どちらが上向いた気分かはともかく、気分が違うことだけは確かだ。
昔よく、雨の日に学校や会社をさぼって、後ろめたさのようなものを感じたのだが、今にしてみると、晴れや曇りの日と違う行動を取ろうとした点では自分に素直だったのではないか、などとも思えてくる。
晴耕雨読とも言う。
気分が違うのだから、無理に晴れの日の行動に自分を合わせようとするのでなく、季節と天候によって行動パターンを使い分けてみることに自覚的になってきた。
最近毎日のように八卦掌をやっているが、雨の日はやらない。すると、晴れの日とは全く違った日常になり、きわめて単調な生活の中にもメリハリの利いたリズムが生まれる。
ぼくがもしサラリーマンだとしたら、雨の日は午前中喫茶店に寄る、ということをしてみたい。そのために病院立ち寄りだとか営業回りだとかの口実を巧妙に用意した上で。 定時出勤しなければならないと考えると雨がうっとうしかったんだが、午前中に喫茶店に寄れるのだと考えると、朝からの雨も妙に輝いたりもする。