(リトルカズオのコメントに返信する形で)
90年代を空白の10年と言うのはバブル崩壊をさしていうが、実は本当の空白は80年代だったんだよな。でもアイドルの追っかけでもやってたならともかく、思春期ってのは誰しも時代との疎外感を抱えていたはずなんだと思うんだ。でもそれをどこかで忘れ去ってしまう。もしくは、何かを見つけて(すがって)そこから抜け出していく。少年時代の自分を捨て去るように。
「少年時代の自分を捨て去ることが大人になることだとしたら、ぼくは永遠に大人になれなくていい。
そのことはそのこととして、自分が少年時代の八十年代になにがしかの固執を抱いていることが、少年なら誰しも通過することなのか、あるいは八十年代のなんらかの特異性によるものなのかは、よくよく考えてみないといけないことはわかっている。ただ、ぼくにはあの喪失感や孤独感や疎外感がけっして少年普遍のこととは思えないのだけど、どうなのだろうかな。そのことはもっと時代が経てからでないとわからないのかもしれないけど、いずれにせよ長い旅が終わった今、八十年代を引きずりながら生きていくことになる。ちょうど浦島太郎のようにぼくの八十年代前半は空白だし八十年代後半から九十年代末までは海外だったから、頭を八十年代初頭に置き、そこからあれこれあれこれ直線や曲線を引いて二十一世紀の今にたどり着く新たな旅をしたいと思っているのさ」
(とあるインタビューのボツ原稿より抜粋。言い回しをリトルカズオ向きに改める)