今日あたり、ぼくがテレビマンユニオンという大卒直後に働いた番組製作会社を辞めてから十年になる(1994年11月10日)。
ADという奴隷のごとき身分で数多くの衝突・ハプニングを繰り返し、失踪しては戻るの会社員時代だったが、衝突や失踪などはさしたる根拠にもとづいて起こしたことではなく、この会社に対する最大にして唯一の不満は人事に関して全メンバー(社員)を公平に扱うという方針だった。もとよりぼくが大企業の就職を考えなかったのも社員が平等に扱われたら堪らない、というのがあって、その意味でテレビマンユニオンは入社試験に面接しかなかった不公平さが気に入って入社したのだが、ここでも「公平」という問題が生じた。公平ということはなにも悪いことばかりではないのだけど、どうやって社員を育て、どういう部署に配属させるかということに関して新人を一律同じタイプの人間として扱うことは、ある背景を持って会社に入り特定のことをしたい希望を持つ者にとっては人間疎外にほかなるまい。テレビマンユニオンはメンバー制など独特の組織体系を持ち、メンバーと契約社員で露骨な差別があるなど、変わった社風を持つ会社であることに期待したが、ADの地位が低いという点では差別主義的だったが、結局はきちんとした会社だった。
ただ、ここは老舗ゆえのまったり感があって、たとえばぼくが二度失踪を起こしたことに対しても至極寛容で、けっして嫌な会社ではないし、ことさらお世話になった先輩や今でもたまに会う仲間もいる。ここにいる人間も総じていい人たちばかりだ。「辞めたい」などと思ったことは無数にあったが、不思議なものでいざ辞める時にはすっきりとした、すがすがしさと惜別の思いを持って別れを告げた。案外会社を辞める時というのはそういうものなのかもしれず、「こんな所、辞めてやる」などと不満を抱えているうちはけっして心から辞めたいわけでなく、本当に辞める時はもっと晴れ晴れとした、懐かしむような思いがすでに芽生えている時なのかもしれない。喧嘩別れは別にして。
ちなみに1994年11月と言えば、インターネットは普及しておらず、オフィスの机の上にあるのはパソコンよりもワープロが主流だった。携帯電話もほとんどなかった。そこらへんは大きく変わったことだが、一方で原宿が若者の溜まり場だったり、若者が「埋没したくない」と叫んだり、変態系のフーゾクや顔の見えない対話が流行したり、アジアのサブカルチャーが女性を魅了したり、若者が自分探しと称して旅に出るようなことは担い手こそそっくり入れ替わったものの何も変わっていない。「中国ブーム」と言われた時期でもあり、NHKスペシャル「中国」という主に経済と社会の変動から人口大国の未来を描くシリーズ番組の放送がなされていたが、つい先月も全く同じ趣旨の番組(63億人の地図 中国豊かさへの模索)が放送されていて、隔世の感がまるでしない。そんな中で自分の歳だけは確実に進行していて、会社を辞めてからのこの十年間、はたしてやるべきことがやれたのか、自責の念ばかりがいっそう強くなっていく。