今日発売の「宝島」09年1月号で中国現代アートについて1ページの短い文章を書いています。機会あればご一読ください。それにしても、09年1月号という言葉に妙に焦ります。
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昨日今日と肩の辺りが少し筋肉痛
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構成
書籍の場合であれば目次立て、雑誌記事の場合であれば大まかな内容の塊の羅列を記した上で書き始める。ぼくの場合は、目次立てや内容の羅列をある程度綿密に練ってからでないと書き始めることはできない。ただし一方で、これはあくまでぼくの場合であり、どこまで一般的なのかはなはだわからぬが、書く主体と考える主体という別人格の主体が存在し、書くことで構成は大幅に変わる。そのこととも関連するが、書き始める前に完璧な構成が浮かんでくることがぼくにはなく、4章の単行本であれば3章まで、3つの見出しから成る雑誌記事の場合は2つめの見出しの部分までを考えた段階で書き始める。4章のうちの4章、3つの見出しのうちの3つめまでが鮮明な経験はあまりない。そして、2章、3章と書き進めるにしたがって1章の大幅な直しに初めて気付くことが多い。取材の際に仮説と修正を繰り返すように、書くという行為においても仮説と修正を繰り返すことになり、大変な労力を要するが、2度旅ができるおもしろさもある。
よく言われることであるが、ある構想が書籍になりうるかどうかの目安はとりあえず100枚書いてみることだとされる。このことはぼくもわりかし気にしている。